高校時代の留学エッセイに関する記事

自分の名前をグーグル検索して遊んでいたら、自分の高校時代に書いたエッセイに対する投稿が上がってきました。

自分のエッセイはアメリカの高校へ留学した時の経験談みたいなもので、かなり前に「地球の歩き方ー成功する留学」という本に載ったんですが、それが今頃引用されるとは少し驚きです。出版物は残るんですね。

自分のエッセイに対するエッセイ(?)を読むのは不思議な感じです。

↓ が記事の内容。

高校生の留学体験 - 生物のクラス(成田裕明君)2012-05-16
「僕に困惑する先生の表情を目にすることが多かったのは事実だ」と自分の留学生活の始まりを回想する成田裕明君ですが、留学当初は相当に苦労したと思います。学習面か、あるいは勝手の違う学校生活において、彼は問題児扱いされることもたびたびあったそうです。

アメリカに留学する生徒にとって、学習面でみな一応に苦労するのが生物とアメリカ史です。この二つの科目は高校卒業のための必須科目です。アメリカ史の難しさは、日本とは全く違うディスカッション形式の授業と、歴史事実知識の確認のみならず、自分の意見を求められるテストにあると思います。

また、生物の難しさは専門用語がたくさん出てくること、内容説明の英語の複雑さであると思います。物理系の分野であれば、数学知識でカバーできる範囲が多いでしょうが、生物においては、たとえば光合成という一つのテーマを学ぶにしても、細胞組織、葉緑素やその働きなど、新出単語と説明のための長文は、日本からの留学生にとって相当の学習負担を強いられるでしょう。

裕明君は、生物クラスを取ります。あえて取ったのではなく、同年代の現地生徒と同じようにこのクラスを取らされたわけです。彼は、先生からクラス替えを勧められます。辞書にも載っていないような単語が当たり前、先生への質問にも限界があります。通常であれば、留学生はすんなりと先生の「クラス替え」アドバイスに従うところです。しかし、彼の答えは「NO」でした。「(留学生という)その立場に甘えていたら、いつまでたっても周囲の目も変わらないとわかっていた」と彼はいいます。そして、自分自身を変えるためにこのクラスに残ります。

彼の信念は周囲を動かしたようです。彼の決断はチャレンジングではあるが、その態度はacceptable(受け入れられる)であると生物の先生も思ったことでしょう。当然のことながら、ホストファミリーのバックアップ、クラスメートの協力もあったでしょう。彼は生物のクラスを無事にパスします。

ネバーギブアップ精神が旺盛な彼の留学生活の後半は、「不自由さ」がひとつ一つ消えていったそうです。そして、彼の意識は徐々に、「現地に住む一人の住人として毎日を過ごそう」となり、そのための努力を重ねた結果、生活が少しずつ楽になっていきます。

「とにかく当たって砕けよ、これが留学に僕が取り続けた姿勢だ」という彼の言葉は、誇張ではないと思います。「もし、砕けてしまっても、また、ひとつ成長した自分の作り上げることができたらそれでいい」十代半ばの彼の人生哲学に私は、留学のもつ自己啓発のポテンシャルを確信し、体験者の将来に「希望」を感じます。(*注:成田裕明君の手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001-2002、109ページに掲載されています。)

高校生の留学体験 - 生物のクラス(成田裕明君)

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